私がまだ幼かった頃、お腹がパンパンに膨らんで泣いて痛がって七転八倒したので、緊急でかかりつけの小児科のある総合病院に向かう途中、車でスピードを出しすぎてパトカーに止められ、事情を話したら病院までそのパトカーが先導してくれたことがあったそうです。
私が産まれた時、大腸に問題があり「この子は20歳まで生きれれないでしょう」といわれたそうです。母と一緒には退院できませんでした。
それまで仕事もとっかえひっかえ、仕事が安定しなかった父が、欠陥を持って生まれてしまった私の入院費を肩代わりしてくれた社長さんが居て、恩義からその社長さんの会社を定年まで勤めあげました。50歳を過ぎてから、社長さんに進められパソコンをはじめエクセルもパワーポイントも使えるようになり、同期より10年も長く勤めあげました。
入退院を繰り返す私の為に、オレンジ色の小さな車をローンを組んで買ってくれました。
今と違って子供の入院費は、大層な額だったと思います。
お陰で、20歳なんてとうに過ぎてもまだ生きてます、私。
父が私の為にしてくれたこと、山ほどあります。
2週間、4回にわたる色んな検査の結果、ステージⅣの胃癌。肝臓に転移。腎臓も腫れていました。
万が一、食べ物を食べられなくなったり、食道、胃の入り口の狭窄があった場合はやむなく手術だそうです。
根治が認められないからです。
抗がん剤で癌の進行を緩やかにしていくことが精一杯のようです。
父の両親も癌で亡くなっています。今の父より若い年でしたが。
癌の余命宣告は聞けませんでした。
明日、大学病院から抗がん剤治療のため、また転院です。
紹介状と画像診断のCDのコピーが出来上がるのに1時間以上かかるというので、一旦、スーパーによって父が食べたいというものとお昼ごはんを買って家に戻りました。
紹介状の受け取りには私一人で大学病院に向かいました。
車内に大好きな欅坂46の「真っ白なものは汚したくなる」を大音量でかけて大声で歌いながら行きました。全曲全部空で歌えるから。歌ってないと悪いほうに悪いほうに考えが行ってしまいそうだったから。
コロナの影響で、3月にCT検査をするはずでしたが世の中自粛自粛でしたし、外でコロナをもらうかもしれないとキャンセルしてしまっていたのが、とても、とても悔やまれます。もしかしたら、3月に検査していたらもっと早く癌が見つけられていたかもしれない。
たらればだけど。
「ステージⅣの転移した癌だって、俺。」
こんな時まで笑うんだよね。娘の前でのええかっこしいにもほどがあるよ。
明日、抗がん剤治療のための説明を受けに行きます。
車で空いていれば20分。でも国道沿いなので混んでたら40分くらいかかるかな。
抗がん剤治療は時間がかかるとあったので、電気屋さんでポータブルDVDプレイヤー見てきました。結構、安い。
腎機能が低下しているので使える抗がん剤が限られるそうです。
なんとか、父に合う抗がん剤がありますように。副作用がありませんように。
ゆっくりゆっくり、できれば進行が止まってくれますように。
今度は私が父を病院に送り迎えする番です。
ここまで生きてきた私の唯一、恩返しができるとしたら「親より先に死なない事」。
でも、できる事ならなんでもやるよ。
闘いはこれからです。
これから、妹に伝えなければなりません。辛いな。